2012年5月2日水曜日

自分は大学で書道を学んでいます。 大学では実技、理論、幅広く書道について学べて...

自分は大学で書道を学んでいます。

大学では実技、理論、幅広く書道について学べています。



しかし、今のこの時代に書道は必要あるのだろうか、と考えてしまいます。

書写は必要ないと考えています。

書道はどうなのでしょう。



最近では、そこまで見る人がいないのに、見る人はその人と関係がある人ばかりなのに、高い表具代をかけて、展覧会に出品することに虚無感を覚えますし、その延長で人との付き合い、接し方がまずくなりました。



何かに縛り付けられているみたいです。書道をしなきゃいけないことにあるんだと思います。



仕事をしている方はどういったところに仕事の楽しさがあるんですか。

職場の人間関係を置いとくと、他に何があると思いますか。







突っ込んで良いですかね!



【最近では、そこまで見る人がいないのに、見る人はその人と関係がある人ばかりなのに】



サッカーや野球でも囲碁や将棋でも剣道や柔道でもどの分野でもそうですが、それに関心のある人しか基本見ませんよ??

どの分野でも基本その事が好きで集まった人達が切磋琢磨して人より上に立つ為に頑張られているのではないんですかね!



将棋って今の時代に必要ですかね?剣道って今の時代に必要ですかね!?

僕は将棋も剣道もしないので無くても別に問題は無いですが・・・日本の文化的感覚からすれば将棋も剣道も日本文化としてやはり残して誰かが引き付いて行った方が良いのではないですかね!



女の子にキャーキャー言われて最先端技術の物がしたいなら別に書道なんてしなくても良いのではないですかね?

書写も書道もそうですが、数千年日本の文化として脈々と続いてきた物ですから文化としては必要な物です。

ペンとか鉛筆とかはたかが100年ぐらいじゃないですか~PCなんて10年ぐらいかな・・・もうちょいあるかな!

日本の文化を後世に残す使命が書道家にはあるんだと思いますよ、別に書道展に縛られて金が無くなり恋人関係や友達関係が上手く行かないと言う事ならば書道展なんて若い内は出さなくても良い様にも思えますが・・・

そもそも仕事もしていない学生に社会人の公募展の書道展に出させる事自体おかしな事のようにも思えますが・・・

まっ学校の方針だから文句を言ってもしょうがないけどね!



書の楽しみは別に書道展だけではないと思います。

楽しみながら書道を続けられる道も無きにもあらずなので、縛り付けられない楽しい書道が出来るように方向修正をしてみるのも一つの手かもしれないですね・・でもこれは逃げているのかな?

逃げずに進むならやはり情熱は先人の書道家達に追いつきたいそして追い越したいという気持ちと、同年代の書道をしている人には負けたくないと言う気持ちがやはり情熱となり頑張れるのではないですかね、あなたには同年代や一年先輩でも良いですがライバルは居ないのですか?

ライバルが居るとやる気が出ますよ~出来ればライバルは自分よりはるかに上に居る人をライバルにした方が情熱も高まりますよ♪

「井の中の蛙大海を知らず」の蛙ではないですけどあなたがそういう状態で自分の実力が書道ではどの辺のレベルなのかも良く解っていない状態とか、大学と言う狭い世界の中でしか判断出来て居なくて天狗になっていたとしたらもう少し広い視野を見た方が良いと思います。

ま~ちゃんと見ているし天狗にもなっては居ないとは思いますが・・・狭い間隔だと情熱も燃えにくいですよね!

みじかな人間ばかり見ていると情熱は燃えにくいです。大学内とか書道教室内とか狭い所では・・・

違う大学の人間とか違う書道教室の人間とか違う書道展の人間とか普段関わっている人意外の所にライバルを作るとある意味燃えるし、それが次第に情熱として書道を続けたいと言う気持ちになるのかもしれないですね。



あと教わっている側から教える側に回るとか、後世に書道の文化を残す役割の一任を行なう事も使命と思いやる事もある意味書道を続ける情熱なのではないですかね!

まだ大学生だからね楽しみを味わう前の修行の時だからね、一番学びの時だからね・・・一番大変な時でもあるから迷うのもしょうがないけど他の奴らには出来ない自分にしか出来ない事をとことん極めてやると言う気持ちもある意味情熱ですよね!



情熱か・・・俺にも問い詰められている問題かも知れないがやはり負けたくないと言う気持ちが一番大切かもしれないな!最近の若い者は・・・あっ僕も若者だけど(汗;; ライバル心というか勝ちたい負けたくないという闘争心が薄いらしいからね~そういう人間に情熱を持てというのもある意味無意味なのかもしれないよね!








大学で書道をかなり勉強しておられるなら、そこに進もうと思った気持ちに戻ってみたらどうですか?

地位や資格で上を目指せば、展覧会は避けられないでしょう。

書道に限らず、その道に進みはじめると多くの人が悩む問題です。ということは、仕事でも同じような経験をされることでしょう。趣味やお稽古事なら、辞めてしまうこともできますが、仕事となればなかなかそれも出来ず、深く考え込んでしまうと、自分を追い詰めることになります。

許容できる範囲を広げて、なるべく嫌なことに近づかない・・程度に割り切ることが出来ればいいのでしょう。



書道に限らず、芸術なんて、人間がただ生きていくだけなら不要なものでしょうね。でも、心を豊かにするものとして大切なものではないでしょうか。



書道の場合、古典の臨書をすれば、その作者の追体験が出来る唯一の芸術とも言われています。

その点では面白い芸術だと思います。



僕は書道は芸術だと思っています。書道の中にわざわざ「前衛」と謳っているものがありますが、全ての創作活動は「前衛」であるべきです・・・古典に立脚していても、自分にしかないものを追求すべきでしょう。







書道、演歌、歌舞伎などの、伝統文化、伝統芸能、和風文化は、日本を、日本人を救う、救世主です。現代の日本は、社会生活が、過剰に、脳を刺激するストレス社会です。だから今、日本人に必要なのは、脳を休めて心を癒す、情緒がある伝統文化です。現代演劇、現代美術、現代音楽、現代の娯楽は、自己表現、自己主張が過剰で、脳を刺激するものばかりで、気分が高まる、テンションが高まるものばかりです。だから心は、ストレスになります。現代人は、脳を刺激する薬物依存症と同じ状態です。リラックス出来ないです。逆に興奮します。現代は、脳を刺激するのが、芸術や娯楽だと思われています。これが、間違いです。これを、脳を刺激して、脳で感動して、脳で理解する論理思考文化といいます。昔の日本人は、生活に間や情緒を入れて、脳を休ませる工夫をしていました。娯楽や芸術も、脳の思考を無くして情緒を多くするため、様式化、ワンパターン化、非現実化して、間が多く情緒が溢れて、人の心を癒していました。これを、情緒に感動して癒され、心で理解する情緒思

考文化といいます。情緒を多くするためには、脳の思考を休む必要があります。理由は、脳の自己表現と情緒は、対立していて反比例の関係だからです。日本の伝統文化だけが、情緒思考文化です。だから現代の芸術は、自己表現が強調された結果、論理思考芸術になっています。しかし芸術、文化、娯楽の本来の目的は、人の心を癒す事だと思います。情緒思考芸術が本当の文化です。情緒は、人の心を癒し、育て、社会を調和に導きます。日本人は、和風文化で情緒に目覚めましょう。脳の論理思考の時代は、終わりました。新しい時代は、情緒の時代です。脳を刺激する芸術と、脳を休める芸術があります。現代の芸術は、脳を知性を刺激して、頭で理解する、論理思考芸術です。究極は抽象表現です。脳を刺激すると活性化して、元気になるけど、頭の知的な美的な遊びで、自己満足で、癒しではありません。脳を休める芸術は、日本の伝統文化です。情緒を表現していて、情緒思考文化です。脳を休ませる芸術は、情緒に溢れているので、心が癒されます。論理思考は情緒を排除します。

論理と情緒は対立していて両立しません。だから自己主張や自己表現が強いと、論理思考芸術になります。日本の伝統音楽の義太夫節、演歌、民謡などは、母音を過剰に伸ばすので、この時、脳が休み、脳波がアルファ波になり、情緒が交流します。つまり日本の伝統文化は、舞踊や演技の間、音楽の母音、絵画の余白、和歌の枕詞などに、間を入れて情緒を多くします、これが脳を休ませる情緒思考芸術です。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。新しい時代は情緒の時代です。世界中で日本人だけ、思考行動パターンが、情緒思考です。だから日本は情緒溢れる国です。新しい時代の手本です。







ただ、単純に情熱だと思いますよ



あなたのやる書道は芸術であり、芸術を理解できる人間が少ないだけだと思います

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