勝手な私の言い分です。
私は若い頃、何か特殊な才能を持つ女の人に尊敬の念と憧れを持っていました。楽器(私はバイオリンとフルートが好きです)、囲碁、絵等等。妻に只で直接教えてもらいたい・・・・との下心?を有し・・・。しかし、現実に結婚した妻はごく普通の人(勿論私も)。今はもちろん十分満足していますが、それでもリタイアした今、ふと、そのような願望を再び瞼に思い浮かべることがあります(妻がプロの棋士だったら、直々の指導の下、今頃はアマ5段くらいに違いない・・・。囲碁教室でも開けているかなー、と・・・・・・)。シニアの皆さん。結婚にあたって妻なる人に何か特別理想像なり期待なりを思い浮かべたことがおありでしょうか。
マッサージの上手な奥さんがいいです。
疲れて帰ったときに、風呂上りに、
優しくしてくれたら、また、「明日も頑張ろう」
そう思いますね。
こんにちは。
一芸に秀でた女性ってかっこいいですよね。今は美しく、理知的(高学歴)でかつ芸術等に才能のある方がたくさんいらっしゃって「天は二物を与えず」なんて言葉死語になるんではないか、と思ってしまいます。
私も独身のときは配偶者の条件を「自分と同じくクラシックの楽器演奏ができる人を」と思っていました。現実に結婚した相手は音楽はおろか趣味はなし、という普通のまじめな人でしたが、今振り返るとこれで良かったのだなぁと思っています。
私はフルートの演奏と自転車とパソコン(プログラミング)を趣味としていますが、趣味のために何か買おうとすると、「なんでそんなに高いかわからない。」といわれます。
でもわからないからいいのではないでしょうか。少しでもわかってしまうと「せっかくあんなプロでも使っているような○○○買ったのに。」「そんな使い方したら×××が傷むよ。」「あなたの実力は今の○○○で充分。買い替えるなんてもったいない。」とわかっているだけに言えてしまうお説教を聞かされるような気がします。このお説教は的を得ているものでしょうから、なおさら頭にくるのではないかなぁ、と想像してしまいます。
演奏会やツーリング等趣味の実力についてもおそらくなんらかの批判を受けると思います。きっとイライラするでしょうね。
配偶者に何か習おうとするならまず自分が大人にならなければいけないと思います。外では「先生」と呼ばれている人に何かを教わる場合、生徒は当然謙虚な姿勢で臨む必要があります。例えば教わっているときに「そんなのわかっているよ。」「なんでそうなるの。」「全く理解できない。」等横柄な態度に出た途端もうあなたに何かを教える気は失せてしまうでしょう。
きっと才能あふれる方の配偶者は人間的にとても出来た方でないと務まらないのではないでしょうか。
無い物ねだりはいけません。私も音楽が好きでクラシックギターは学生時代からもう○十年やってます。フルートも少し。でも妻は全く出来ません。台所で鼻歌がせいぜいです。結婚当初はゆくゆくは二人でなんて想像していました。結婚して二、三年でその夢を諦めました。代わりに娘に希望を託して育てました。もちろん本人も好きでしたからピアノの先生になってくれました。やっと娘と二人で合奏の夢が叶うと思って喜んだのもつかの間、娘の音楽レベルとはかけ離れた自分の実力を思い知ったわけです。当初は娘も我慢して付き合ってくれましたがこちらが申し訳なくて今はほとんど一緒にやることは有りません。
自分の考えている夢の世界は現実では有りません。相方にいろいろ望むのは酷ですよ。 元気で明るく暮らせることにこそ感謝すべきだと思います。妻の調子外れの鼻歌を聞きながらの毎日です。それで満足です。
そー言うアナタは特殊な才能がおありなのですか?
夫にそのような期待を持ったことはありません。
そもそも、いくらプロの棋士であったとしても、他人に教えるのと、自分の配偶者に教えるのとでは
全然違うそうです。(感情が入ってしまい、「なんで、こんなこともわからないの?どうして、教えたことができないの?」
と、喧嘩になると思います。)
結論は、習い事は(勉強もそうですが)全くの他人にお金を払って習うのが1番よろしいかと・・・。
出来が悪くても、怒られることはありませんからね。
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