皆さんは麻雀についてどういうイメージ、考えを持っていますか?
私は某県立高校生に通っています。
私は囲碁・将棋部が私の入った年度に廃部になったと聞き
放課後に教室で友人を集め将棋をやっていました。
そういう学校生活を送るうちに麻雀に出会いました。
麻雀には以前より興味を抱いていたのでルールを覚え
実際に1局打ってみたました。打ってみたらこれが面白い、
どんどんのめり込み放課後のメニューに麻雀が加わりました。
そうして友人と賭ける事もなく健康麻雀を打っていたのですが
つい先日の金曜日に学校の教師が教室にやってきて
麻雀セットを没収し「麻雀なんてやるな」と言ってきました。
納得がいかず私はどこがいけないのか聞いてみました。
返ってきた答えは「ギャンブルだからだ」。
ここで申し訳ありませんでしたと平謝りするのが利口なのは
理解してますが麻雀を根本的に否定された気分で
発狂テンパイというぐらい怒りに震えています。
日本麻雀の競技人口はおよそ2000万人と言われています。
これは日本人の6~7人に1人は麻雀をやっている計算になります。
ここまで普及したものをギャンブルで切り捨てるのは酷だと思いませんか?
確かに少なからず賭博麻雀が行われている点は否定はできませんが
1つの立派な競技として麻雀をやっている方々も多数いらっしゃいます。
私自身も決して楽な道ではありませんが将来はプロとして活動したい、
そう考えています。
私は今度呼び出しを受けた時に利口な事はせず
今回の事件について抗議するつもりでいます。
皆さんの麻雀に対するイメージや考え、ご意見をお聞かせください。
長文、真に失礼いたしました。
麻雀人口は爆発的に伸びています。
やはり、面白いっていうのと技術だけじゃなく運が絡んできて初心者でも勝てること、
老人にはぼけ防止にもつながる、非常に画期的なゲームです。
プロ雀士の方々も健全な本の出版が目立っています。
その一方でまだまだ、麻雀に対して、「賭け事」、「おじさんのやるゲーム」などという偏見を持っている方もかなりいるようですね。
私の生まれて初めてやったゲームが父がやっていた麻雀でしたのでそのように言われると悲しくなります。
私はやはり、麻雀は覚えるまでは大変だけど、覚えてからは一番楽しいボードゲームだと思っています。
また、父も昔はよく賭け麻雀をやっていたそうですが、私に麻雀はよくないゲームだとは一回も言った事がありません。
それはすばらしいゲームだと思っているからだとおもいます。
ですので、今度先生に言われたら反論するべきです。
見えない部分がおおい ゲームで 置くが深いと言うか 面白いと思います。
賭博してる訳では ないので がんばってください。ちなみに 貴方の意見を親に言って理解してもらえますか?
やっぱイメージ悪いと思います、それだけは マアジャン好きな私もそう思う くらい なので・・・
かなしいかな これ現実なのよね・・・・
多くの高校が麻雀を認めない理由は「校内の風紀を乱すから」なんでしょうね。高校には保護者や外来の人間も来ますから、その人たちが卓を囲ってるのを見て良い印象を受けないであろうことは理解できるでしょう。
要は麻雀って、将棋と違ってイメージが悪いんですよ。悲しいことですが。
ギャンブルか否か、と考える前に通例・慣例的にギャンブルと見なされていること。あと、徹夜麻雀に代表されるように、時間が不規則になるという見方をされることもある。そしてルールは一見複雑だが慣れてしまえば空で点数計算。高い熱中性・そして中毒性。
個人で(たとえば先生の目の届かないところで)麻雀をしても、結局は憲法で出てくる思想・良心の自由と同様に、個人的なことに首をつっこまれる恐れがあるわけではないが、学校の室内で行うという時点であなた方の麻雀はすでに「外部性」が生じている。ここで言う外部性とは、あなたと他3人で行っている麻雀が「あなた方以外の人間」にも影響を及ぼすことを意味します。たまたま麻雀しているところを他の生徒が見たとする、又は観戦しているとする。あるいは放課後黙々と熱心に卓を囲んでいるように見える。実際に麻雀を自己責任で行っているあなた方4人は構わないが、まだしていない、したことがない、まだ知らない、たまたま見てしまった人間に対して影響を与える可能性が非常に高い。教育者としてそれを恐れている人は多いと思う。先生はあなたに向かって「麻雀やるな」とは言っていないはずだ。おそらく「学校で麻雀やるな」という趣旨の方が近いはずだ。先生の言った暴言に近いと思われる言葉はストレートだ。しかしその中にはいくつもの理由が内包されていることも理解されなくてはならない。私もあなたに対してはそう言う。
学校、それも義務教育以後の高校である。進学校なら学業が本分。そうでなくても様々な社会生活のための基礎を積む場とも位置付けられる。中毒性の高い遊びに熱中するための時間と場所ではない。なによりも、その高い中毒性のために、人間として特に感受性の高いこの時期に麻雀のみに熱中するが故に、人生の視野を極端に狭めるおそれがある。
同じゲームなのに、将棋や囲碁とは何が違うか。真剣にやったら同じく真剣勝負ではないのか??検討してみるが、まず麻雀は必ずしも1対1ではない。1対3、2対2、そして3対1と定型化できない力学が存在する。そして何割か、人によっては100パーセント?運の要素。打ち方にいたってもデジタル・アナログ・オカルト・ツキ・流れ・感性etc…なんのこっちゃ、これは期待や欲望、罠や貶めあふれる人生の縮図か。たしかに純粋な実力で計るには非常に定量化しにくい側面がある。いくら麻雀打ちが実力勝負といっても、一局単位では実力を出して勝ったのか運で勝ったのか、見分けがつかない。つまり経済学的に言えば「ゲームとしての強度が低い」といえる。つまりあなた達4人がノーレートで健康に真剣勝負を演じていても、周りからはのらりくらりの道楽三昧と見なされている。そう見なされないためには麻雀でも実力が差に出るということを長期的統計データでもって理論武装して、現在かつ将来にわたって科学的な態度で臨まなければ先生たちを納得させることはできないだろう。これはネットゲーム高速打ち試合消化ならともかく、牌を持つ手でそれを行うのは苦痛を伴うだけのひたすらの試合消化に終わる。ハネ満倍満を上がってもその半荘のトップ率が多少あがるだけで何の感動もない世界だ。…麻雀を真剣勝負な合理的なゲームだと大衆に納得させることは非常に難しい。
思う存分麻雀出来る時期がある。大学生だ。とはいっても○限後の授業のあとに大学構内でやるわけではない。大学生程度の経済力ならセット打ちで雀荘や、1人暮らしの友人宅で朝までできる。そして何よりも、良い意味でも悪い意味でも、だれもそれを制止することはできない。自立した人間としてそれを行っているのだから。以上長々と、そういう訳で、牌を持って麻雀したいのなら、高校辞めるか、せめて大学進学するか社会人になるかしてからをお勧めします。
麻雀はギャンブルです。
とまでは言いませんが、でも図書券くらい賭けないと面白くないですよね。真剣味が違いますから。
モチロン、麻雀プロなるものも存在し、その方々は将棋のようにタイトル戦に出て、賭博でない麻雀をやっていたりします。
しかし、その麻雀プロも別の日には雀荘でお金を賭けて麻雀をします。やっぱり麻雀はギャンブルなんですね。
確かに中には、一切の賭博麻雀をやらない麻雀愛好家もいるでしょう。
しかし、それは少数派です。麻雀をやる人間の大多数がお金を掛けて麻雀をやっているのが現状なのです。
とするとですよ、「学校に麻雀部が出来て、そこに自分の子供が入部した」なんて聞いた貴方のご両親はどう思うでしょうか?きっと学校に怒鳴り込もうとするでしょう。貴方のご両親がそう思わなくても、他の生徒のご両親の内の誰かしらは怒鳴り込みを決行する事でしょう。
学校の先生の側としては、そんな事態を招く事は避けなければなりません。
ですから、あなたが幾ら自分の意見の正当性を主張して、先生を論破した所で何も変わりません。たとえ先生があなたと同じように「麻雀=ギャンブルではない、麻雀を否定する事は許さない」という考え方の持ち主であったとしても、それと学校に麻雀部を作る事を許可するかどうかは別の話です。親御さんから怒鳴り込まれる可能性が高い事を敢えてするようなマネはだれもしないでしょうね。
私は現在高校3年で、同じく麻雀が好きです。
高校2年の時に有志のメンバーをかなりの人数誘い、麻雀好きな教師に
頭を下げて顧問になることを了承してもらい、麻雀部を建設しようとしました。
書類を申請し、全員の名前を書いて担当の先生に提出したところ、
「ふざけるな。そんなもの認められるわけがない」と一蹴されてしまいました。
麻雀は賭博が前提のゲームだから認められない、麻雀部のある高校などないと言われ、
「将棋部や囲碁部はあるのに何故だ。将棋や囲碁にだって真剣師はいるじゃないか」
と反論すると、「将棋や囲碁は別だ。とにかく麻雀部は認めない。」とのこと。
教師なら教師らしく、生徒が分かるように説明しろよって本気で思いましたね。
私は都立なのですが、少なくとも都立に麻雀部のある高校はないそうです。
「ならうちが先駆者になればいいじゃないか」と言ってみましたが無駄でしたね。
麻雀≒賭博 賭博を学校で容認することはできないって感じでした。
私自身、麻雀は賭博だなんて先入観の塊だと先生に言いましたが、
イメージとしては正直 麻雀≒賭博 です。
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